日坂宿最後の問屋役を務めた伊藤文七翁の自宅で、「藤文」は屋号です。
伊藤文七は安政3年(1856年)に日坂宿年寄役となり、万延元年(1860年)から慶応3年(1867年)にかけて日坂宿の問屋役を務めました。維新後の明治4年(1871年)には、日坂宿他27カ村の副戸長に任ぜられました。
その間、幕府の長州征討に50両を献金、明治維新のときは官軍の進発費として200両を寄付しています。
当時何棟かあったと云われている土蔵のうちの一棟が、修復され現存しています。
明治4年(1871年)郵便制度が発足すると同時に、日本最初の郵便局のひとつとなった建物と云われています。