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掛川大祭(次回は令和6年の予定です) 

 「掛川大祭(かけがわおおまつり)」は、市内中心部に位置する7神社の氏子41町が参加する祭礼で、3年に一度開催され、「大祭(おおまつり)」の間の2年は「掛川祭(かけがわまつり)=通称「小祭(こまつり)」として行われます。
 現在確認できる掛川の祭礼に関する最古の資料は、今から約260年前の江戸時代中期のものですが、ほぼ現在の様式を備えたのは,今から100年以上前の明治時代中期と推定されます。戦前の掛川の祭りは,優美さや華やかな印象から「衣裳祭り」と呼ばれ、その前後から静岡県内屈指の都市祭礼(街の中で屋台や山車などを曳きまわす祭礼)に成長していきました。
 掛川大祭では現在でも、三大余興と呼ばれる「かんからまち」「大獅子」「奴道中」や、屋台行事(屋台の曳きまわし)を中心に、美しい衣裳や長唄を始めとする手踊りなど、様々な出し物が披露されます。
 また、掛川祭は学術調査によると、旧江戸「天下祭」を初め、北は岩手県、南は南九州地方まで全国各地の複数の祭礼や民俗芸能との関連が認められ、それらとの類似性・共通性は、上記の出し物の多彩さに繋がるだけでなく、かつて掛川が東海道の城下町・宿場町として、東西交通・交流の要所だったことを裏付けています。
 上の写真は三大余興の筆頭格の「かんからまち」で昭和30(1955)年11月1日、市内横須賀地区「三社祭礼囃子」と揃って、静岡県指定無形民俗文化財第1号として認定されています。
 「かんからまち」について文献上確認できるのは、今から約260年前のものですが、起源については、掛川城や掛川藩と密接に関係する事は間違いないと考えられます。
「かんからまち」のような形態の獅子を分類上は「三頭獅子」「三匹獅子」と呼びますが、この種の獅子は関東から東北地方に無数に分布しており、なぜ飛び地のように掛川に存在するかという謎は解明されていません。それとは別に、掛川から遠い岩手県遠野市に、江戸時代初頭にこの「かんからまち」が伝えられたという伝承があり、特筆されます。舞については途中で側転が入り、この所作は見逃せないものです。
3年に1度の掛川大祭(おおまつり)には大獅子を始めとする三大余興が登場して多くの観光客で賑わいます。
[料金目安]
※次回の掛川大祭は令和6年10月の開催予定です。
住所
掛川市城下など中心市街地

アクセス
掛川駅北口から徒歩圏内

駐車場
大祭時は掛川市役所に特設駐車場有。
そこからバス、タクシーで市街地まで5分程度。



「大獅子」は舞う獅子として日本一の大きさで、掛川大祭では最も注目を集めますが、起源については、今から約160年前に、地元仁藤町にある天然寺の住職が、お伊勢参りの途中、現在の三重県鈴鹿市で見た獅子を参考に考案したものと伝えられています。
 
写真左上の連雀町の長唄「吉原雀」は、掛川大祭の衣裳や手踊りの中では代表的なものです。約15町が行う、ほぼ素人だけの三味線生演奏「弾き唄い」などによる屋台の綱の中での手踊りは、全国的にも珍しいものです。写真の屋台は中町。
 
「奴道中」は戦前「大名行列」での編成でしたが、戦後の大祭では、「奴道中」のみで構成される場合が多く、近年では平成13(2001)年の「東海道400年祭」のイベントで「大名行列」が復活しています。

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