感動!掛川城主秘話(‘Д’) 

(画像は掛川観光ホットNEWSの秘書広報室さんの記事より拝借しています)

 

先日、杉良太郎さんから寄贈された甲冑の持ち主のお話です。

太田資俊公の名前は聞いたことあるけど、「 松平遠江守忠喬」ってどんな人?

ということで調べてみたら「日本藩史」という書にその名前を発見。

 

漢字ばっかりでよくわかりませんが、どうやら

 

松平遠江守忠喬は、 寛仁慈愛でみだりに怒らない忠勤の功者だった。

家老が陰謀を企て、城主忠喬を毒殺しようと一椀の茶をすすめた時、茶坊主の正斎がその茶碗を横取りして、「茶の色が悪いので毒見をしましょう」と飲むやいなや、悶え苦しみ血を吐いて死んでしまった。家老は近習の者に槍で突き殺され、忠喬は正斎のおかげで危うく命拾いした。

実は以前、忠喬がコタツにあたっていたとき、火を運んで来た正斎が誤って忠喬の足元に炭火を落としたことがあった。死をも免れない失態に正斎は畏れおののき、顔は土気色になり、ブルブルと震えながら謝罪したが、忠喬はまるで怒ることなく「これは過誤で汝の罪ではない。ただ焦げ跡がみつかれば汝が責められるだろうから跡を始末しておくように」と、一言の呵責もなかった。正斎はありがたさに感極まって泣いた。

のちに正斎が命がけで主人を守ったのは、このときの恩恵に報いたものであった。

 

ということが書いてあるようです。

正斎さんも立派だけど、城主松平忠喬さんも素晴らしい人格者だったのですね!

掛川在城期のエピソードではないようですが、寛仁慈愛の忠喬さんの甲冑に会いに掛川城御殿に来てくださいね(^^)/