掛川宿の西の端に十九首という町があり、公民館の裏手に、平将門とその一門19名を祀る塚があります。
今を遡ること千余年。関東一円を制覇した平将門は、朝廷への反逆者とみなされ、天慶3年(940年)に藤原秀郷軍によって討伐されます。平将門と家臣18名の首級は、検視のために京に運ばれる途中、ちょうど掛川のこの地で京から派遣された勅使と出会ったため、ここで検視を受けたのち埋葬されたという伝説が残っています。
古くは19基の塚が点在していたようですが、時代とともに姿を消し、将門のものとされる五輪塔だけが十九首公民館の脇に永く祀られてきました。近年、公民館裏手の一角を史跡公園として整備し、将門の五輪塔を取り囲むようにして18基の首塚が新しく造り直されました。長い歴史を持つ十九首塚は、町の守り神として地域や保存会の皆さんにより大切に祀られ、毎年8月15日には供養祭が行われています。
また、井伊谷(浜松市北区引佐町)に伝わる資料等によると、永禄5年(1562年)、時の領主井伊直親(※)が駿府に向かう途中、十九首の地で掛川城主朝比奈泰朝らに討たれたとされます。十九首塚も実は井伊直親とその家臣を祀る塚ではないかという説があり、井伊家ゆかりの方々も参拝に訪れるそうです。
※井伊直親は「おんな城主」井伊直虎の許婚とされ、後の徳川四天王のひとり井伊直政の実父