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東海道 2

 東海道五十三次は、江戸時代に整備された五街道のひとつで、江戸日本橋から京都三条大橋に至る東海道に置かれた五十三の宿場を指します。
 掛川には、「掛川宿」と「日坂宿」の2つの宿場があり、多くの人が往来していました。道中には名所旧跡が多く、浮世絵や和歌・俳句の題材にもしばしば取り上げられ、掛川の「日坂」も浮世絵師歌川広重に描かれています。
 歴史を肌で感じながら東海道を歩いてみませんか?

 掛川宿は、天保14年(1843年)の記録によると、本陣2軒、旅籠屋30軒等、960軒の家があり、3443人が住んでいました。宿の東寄りの天然寺と西端の円満寺は朝鮮通信使が来聘した折には宿所として使用されました。
 1691年に東海道を旅したケンペルの「江戸参府旅行日記」(平凡社「東洋文庫」)には、「この町の両側(東西)には郭外の町があり、門と番所があります。北側には城があり、櫓のない簡単な石垣で囲まれ、中には高くそびえた白壁の天守閣があり、大きな城に美しさを添えていた」と記され、1776年のツュンベリーの「江戸参府随行記」(平凡社「東洋文庫」)には「防備された大きな町、掛川」と表現されています。
東海道五十三次品川宿から数えて26番目の宿

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